感情を表に出せる環境にする



私は大学で体育心理を学んでおりました。

心理的な作用が運動にどんな影響を及ぼすのかということを学んだつもりです。笑

心理的な作用というのは主に感情のことです。

感情には8つの基本感情と呼ばれる感情があります。

喜怒哀楽と言い、4つじゃないの?と思いますがプルチックという心理学者が人間は8つの感情の強弱と組み合わせ(混合感情)で自分を表現すると提唱しました。

それがプルチックの感情の輪と呼ばれるものです。


強弱とは、怒りの感情でいえば、小さなイライラから激怒までの振れ幅のことです。
組み合わせとは喜びの感情と信頼の感情を組み合わせると愛情となるといったことです。
組み合わせの感情は人間特有の高度な感情であると言われており、人間らしさといえる部分だと思います。

強弱と組み合わせは無限の可能性があるのですが、一般的にはプルチックの輪の隣同士の感情、または一つおき、二つおきの感情までが言葉で表せる感情かなと個人的には思っています。

私は感情を表に出せる選手になってほしいと思っています。
そのためには感情の輪でいう赤、黄、オレンジといったポジティブな感情を体験させて育まなければいけません。

しかし、人間は「得をしたい」よりも「損をしたくない」と考える傾向が強いと証明されております。
生存本能で「死にたくない」と考えるところからネガティブな感情は生存本能の原動力であると言われています。

子どものうちは「損をしたくない」と考える傾向が大人よりも強くはないとされています。逆に「得をしたい」と考える傾向が大人よりも強いとされています。

私はサッカーはポジティブな感情を育めるとても良いスポーツであると考えています。

採点競技のように行動が得点化されないからです。

側から見たらミスであるようなプレーでも選手はポジティブな感情を抱きプレーしていることがあります。

子どものうちにポジティブな強弱と組み合わせの感情を抱き、複雑な感情を表せられるようになるとネガティブな感情も抱くが、自分を向上させるためにと捉えられる逞しい人間になっていくのかなと思っています。

私自身、4年間学んだだけで相当浅い知識でこのようなことを書くのは大変恥ずかしいのですが、感情について倫理的に考える機会はあまりないと思いましたので、投稿させていただきました。

INFINITO SOCCER SCHOOLが所属する選手に様々な経験から色んな感情を抱き、ネガティブも理解した上でポジティブな振る舞いをできるそんな人間になるような環境を作れたらと勝手に思っております。

たまにこういったつまんないブログ書くので話長いしつまんねえなってネガティブに見て、週末、頑張る選手のプレーを見てポジティブに帰って、という感情の振れ幅を作ってください。笑

長々となりましたが、今後ともよろしくお願いいたします。

BPYCリーグ第7節vs  Love sports

 
本日はBPYCリーグ第7節vs Love sportsとのゲームでした。
 
選手に身についてきたこと、我々が良いと信じてやってきたことが実現できる形になりつつあるのかなと思います。
 
同時に新たにチームとして必要となってくること
一人一人がチームで躍動するために必要であると感じるプレーを身につけようとすること
 
この2つがまた新しく取り組まなければいけないことです。
 
特に後者については今まで特別言ってきたことではありません。
積み上がってきたことにより、一人一人の選手のできることが明確になり、その選手にしかできないプレーが出てきました。
その自分にしかできないプレーに気づき、向上させなければいけません。苦手を克服するより大切なことです。
 
通常練習では全員同じメニューを取り組むことになります。
 
通常練習の理解と自分のプレー向上の意識を同時間にやるべきであると思います。
 
家での自主練を強制はしたくありません。私は全てがサッカーになってしまうことは良いことではないと思っています。
 
でも、サッカーの時間だけは120%、それ以上で取り組んでほしいのです。
 
我々も選手がそう捉えていられるような努力をします。
 
トレーニングから理解と自分のプレーの向上の意識のために持てる力を全てを出し切る必要があります。
 
トレーニングでチーム全員が全てを出し切ってきたことを知っているから、選手同士にリスペクトが生まれたり、交代を前向きに受け入れることができたり、シンプルにプレーし続けられるスタミナがついたりするのではないかと考えております。
 
もう、全てのカテゴリーでただ走り回るだけ、ボールを追いかけるだけの期間は終了しています。
そのようなプレーも必要な時がありますが、「やるべき時にやるべきプレーを短い時間でたくさんできて、なおかつ強みを発揮できる選手」になることを目指さなければいけません。
 
ミスはいいのです。一度のミスで負けることはないのです。
 
負けたとしたらそれは結果論です。ミスした瞬間はただ相手にボールが渡るだけだったり、ゴールを取られるだけです。
また、その後プレーするしかないのです。
 
そうやって立ち上がり続けることは勝つことよりも大切なことであり、サッカー選手が観に来ている人に良い影響を与えられたりできると私は思います。
 
そんなプレーが少しずつ少しずつですが出てきました。
 
何があっても立ち上がることができる信念を持ったクラブでありたいです。
 
本日は応援ありがとうございました。
 
来週もよろしくお願いいたします。

チームワーク、力を合わせること

 

チームワーク、力を合わせること
本日はBPYCの延期分、第3節vsBANGKAPIとのゲームでした。
 
各それぞれ、出来ることが増えたからこその課題が見えました。
 
ゴールが取れそうな状況を自分たちで『作れる』ようになってきた。
 
それはとても良いことです。
 
相手のミス、偶発的なゴールも得点は同じ一点です。
 
しかし、意図的なゴールの喜びは大きく、自信になります。
 
自分たちでゴールチャンスを作り出すことにはチームワークが欠かせません。
チームワークとはなんなのでしょうか?
 
サッカーに必要なチームワークは同じ作業をみんなで一緒にやることではないと考えます。
 
各個人がやるべきことをやるべきタイミングでプレーする。そこに1人で完結するプレーはなく、常に他の選手が関わるプレーとなる。ミスや相手の攻撃に関してはゴールを守るという基準から助け合いや補完関係となる。
 
他にもたくさん要素はありますが、要するにプレーの選択肢はチームメイトが作っているということを個人が理解することです。
 
個人が行うパス、ドリブルやシュート、その他守備のアクションも全て周囲の関わりが判断の基準となり実行されるものです。
 
「ボールの行き先はボールを持っていない人が決めている」のです。
 
ボールを持っていない時のプレーでどれほどの人数の選手がボールを持っている選手に影響を与えることができているのかがチームワークと呼ばれる組織の力の一つの判断基準です。
 
なのでみんなで同じプレーをすることはほとんどありません。各個人に別々のプレーを求めます。学年の中にも差があります。
例えば、登山です。体力があり、強い子は早く山頂へ到着できます。まだ体力がない選手は速くしろと言われ、山頂に到着するのが遅れます。
そして下山になると先に到着した子は後で到着した子たちが山頂へ着くまで休めています。
遅れて到着した子たちは山頂に着いた瞬間休む間も無く下山しないといけません。
 
こんな状況で皆さんならどうしますか?
 
体力のない子をある子に合わせさせるようにしますか?それは理不尽となります。体力のない子たちにとってその登山は何の為にもなりません。その子たちにこれは何の為に登っているの?と聞かれたら、具体的に答えることができないと思います。
 
言われた通りにやればいいと考えてしまうのは、選手の成長に繋がりません。
 
なぜ体力に差があるとわかっていながら同時出発するのか、同時の下山をするのか?
 
そういった疑問を思いつく選手を作り出さなければいけません。そういった理不尽に気づいた選手に対して「確かにそうだね。どうすればいいかな」と聞けるような大人であるべきだと思います。
 
それぞれ違いがある選手たちを受け入れて、成長していく。
 
我々が育てようとしているのは「問題を気づき解決しようとする選手」です。「全てコーチの言うことを聞いて考えない選手」ではありません。
 
まずは私が選手を信頼して、本音を引き出さなければいけません。
 
本日は応援、ありがとうございました。
 
私もまた一つ年を取りました。結果はいい結果ではなかったですが、内容に希望を見出せました。いい誕生日であったと言えるように、またトレーニングしていきます。
 
また、日本では東日本を中心に台風による甚大な被害が出ていると聞いております。
皆さんの親族の方の無事を心から願っております。
 
私たちは一生懸命プレーすることしかできませんが、少しでも選手や見てくれる方に勇気や心動かされる振る舞いがピッチの上で体現できるようにしたいです。
 
スポーツの力によって前向きに生きていく、INFINITOはそんなクラブでありたいです。
 
今後ともよろしくお願いいたします。
 

サッカーというゲームを学ぶ過程を楽しむ

サッカーというゲームを学ぶ過程を楽しむ

 
今日はBPYCリーグの第5節でした。
 
この1週間は各カテゴリでゲーム形式のトレーニングを行いました。
 
狙いはゲーム形式のルールや勝利の条件を理解して、チームで攻略法を見つけ出すこと。
 
併せてボールを前に進めるための技術とポジショニングを学べるようにしました。
 
youtubeの動画は保護者の方の反響は良かったのでホッとしました。(選手のみんなには難しい漢字、字が小さくて読む気が湧かなかったと辛辣な意見をもらいました笑)
第1回なので改善していきたいと思います。
内容に関しては、徐々に脳裏に浮かぶようになってくれればと思います。
あの動画が全てのプレーの答えではないし、他にも方法があります。
しかし、あのようなビジョンで相手や仲間、そして空間を把握できるようになるということはサッカーを上達することにおいてかなりのアドバンテージになると考えます。
休む間も寝る間も惜しんで、出していけたらと思います。(youtuberって本当に大変。目指してる人は覚悟が必要)
 
さて、ゲームの話に戻りますが、今回はU8,9が勝つことができました。
ここで大事なことは勝敗という結果よりも、何故そうなったのかです。
 
U8,9はどうして勝つことができたのでしょうか?
U10は得点もでき、途中までうまくいっていたのになぜ上手くいかなかったのでしょうか?
U12は前半より疲れているはずなのになぜ後半の方がいいゲームになるのでしょうか?
 
それぞれ結果には理由があります。
 
理由を飛ばして自ら望む結果にたどり着くのはとても難しいことです。
 
結果までの過程をコントロールしようとすることが大切なことではないでしょうか?
 
サッカーというスポーツは不確定要素がつきまといます。
例えばミスが起こるタイミングがいつくるのかわかる人はいません。
自分の元にボールが来るかどうかを完全に把握することはできません。
 
しかし、ミスが起こりにくい状況を作り出すこと、自分の元にボールが来やすいポジショニングをとることは可能です。
 
不確定要素は完全な不確定ではなく、ある程度のところまでならばこちらでコントロールできる要素なのです。
 
要するに「絶対ではない」ということです。
 
選手は皆、12歳以下ですから白か黒、良いか悪いかいわば極論で理解しようとします。
 
指導者が絶妙、ちょうどいいを判断させてあげられているかが力量が試されるところなのかなと思いました。
絶妙と中途半端は紙一重です。中途半端なプレーをしている時こそ、絶妙へたどり着く寸前なのかもしれません。
 
不確定な過程のコントロールを楽しみ、不変である結果を出す。
 
難しいかもしれませんが、それが実現した際はとてつもないエネルギーが爆発するのではないでしょうか。
全員の力で前に進んでいきたいと思います。
 
本日は応援、ありがとうございました。
 
また来週もゲームがやってきます。また来週も、その次の週も。

TJL第4節「讃えられるということ」

TJL第4節「讃えられるということ」

 
勝負に負けた瞬間、意識の矢印はどこへ向かうのでしょうか?自分のプレー、味方のプレー、失点シーンなど敗因を探る、探ろうとする、矢印がどこにも向かわないが今までの選手たちの習慣であると感じました。
 
終了のホイッスルが鳴り、スコアで負けていたら、悔しがることは悪いことではありません。が、その後は上回った相手を讃えるべきであると思うのです。相手は我々を上回ったのですから。
勝負はその時には終わっているのです。
 
相手を讃え、撤収し気持ちを切り替えてその日の午後と月曜日を過ごし、火曜日からまた次のゲームに向けてトレーニングに励むのです。一日のトレーニングで全部出し尽くしているのであれば、練習での後悔も少ないはずです。出し惜しみがあったり、何か心残りがあるから相手を罵倒してしまったり、陰口を言ってしまったりするものです。出場している時間は何も残らないほど全てを出し尽くすことがサッカー選手としての義務だと考えます。
 
私もその環境を整えたいと思いますし、どういったプレーが全てを出し尽くすことなのかを選手に落とし込まなければなりません。
 
私も試合中のそのカテゴリ、カテゴリでの振る舞いは全てを出し尽くします。
鼓舞して戦います。選手が必死ならば私もそれに呼応するようにともに戦います。
 
私の指導者としてやってきたアイデンティティであると言えます。声も通りますし、自らのスタイルであると考えています。
 
がむしゃらに無茶に無謀に気合いでずっと走りまくることを求めているわけではありません。
 
「状況に応じて持てる全てを出し尽くせているか」
 
ということだけです。
 
考えることをやめたら、そこで歩みは止まってしまいます。
 
本日のゲームはそこを意識してもらいました。たとえ破れたとしても相手を讃えられるでも、チームへの自尊心は揺るがない。そうやって逞しい集団へと変わっていくところを皆さんと共有したいと思います。
 
またゲームがやってきます。応援、よろしくお願いいたします。
 
本日は駆けつけてくださり、ありがとうございました。