TJL第4節「讃えられるということ」

TJL第4節「讃えられるということ」

TJL第4節「讃えられるということ」

 
勝負に負けた瞬間、意識の矢印はどこへ向かうのでしょうか?自分のプレー、味方のプレー、失点シーンなど敗因を探る、探ろうとする、矢印がどこにも向かわないが今までの選手たちの習慣であると感じました。
 
終了のホイッスルが鳴り、スコアで負けていたら、悔しがることは悪いことではありません。が、その後は上回った相手を讃えるべきであると思うのです。相手は我々を上回ったのですから。
勝負はその時には終わっているのです。
 
相手を讃え、撤収し気持ちを切り替えてその日の午後と月曜日を過ごし、火曜日からまた次のゲームに向けてトレーニングに励むのです。一日のトレーニングで全部出し尽くしているのであれば、練習での後悔も少ないはずです。出し惜しみがあったり、何か心残りがあるから相手を罵倒してしまったり、陰口を言ってしまったりするものです。出場している時間は何も残らないほど全てを出し尽くすことがサッカー選手としての義務だと考えます。
 
私もその環境を整えたいと思いますし、どういったプレーが全てを出し尽くすことなのかを選手に落とし込まなければなりません。
 
私も試合中のそのカテゴリ、カテゴリでの振る舞いは全てを出し尽くします。
鼓舞して戦います。選手が必死ならば私もそれに呼応するようにともに戦います。
 
私の指導者としてやってきたアイデンティティであると言えます。声も通りますし、自らのスタイルであると考えています。
 
がむしゃらに無茶に無謀に気合いでずっと走りまくることを求めているわけではありません。
 
「状況に応じて持てる全てを出し尽くせているか」
 
ということだけです。
 
考えることをやめたら、そこで歩みは止まってしまいます。
 
本日のゲームはそこを意識してもらいました。たとえ破れたとしても相手を讃えられるでも、チームへの自尊心は揺るがない。そうやって逞しい集団へと変わっていくところを皆さんと共有したいと思います。
 
またゲームがやってきます。応援、よろしくお願いいたします。
 
本日は駆けつけてくださり、ありがとうございました。