トンブリ合宿レポート②

3日目が終わり、全日程が終了いたしました。
3日目は最後にトレーニングを行い、昼食、チェックアウト、そして大学内にあるスタジアムを見て帰宅いたしました。
トレーニングマッチを組んでくれた、Wattanaコーチ、宿泊の手続きやホテルでの事務作業、トレーニング中の用具の準備など裏方作業を行ってくれたKaiさんに感謝です。2人がいなければこんな素晴らしい環境でプレーすることはできませんでした。
合宿の終了にあたって私が感じたことをレポートとして書かせていただきます。
まずはこの8ヶ月間、チームになることに対してドライすぎたことを実感いたしました。また、自分のやりたいことが、正しいのか考えることが必要となる状況が日常生活も含めて少ないので学ぶ機会もなかった。ということがわかりました。
パスがずれた時のイライラ、何ずらしてんだよ、いや動けばとれただろという衝突。パスコースがなくて出せない、受け手はあると思ってなんで出さないと思ってる。大半のこうやって、やりたいことだけやってて、何も変化しないままプレーする環境だったんだなあと選手たちと過ごして感じてしまいました。やりたいことに対して自分から関与しようとせず、他者に委ねてしまう選手を仲間と一緒に自分たちの手で未来を、結果を変えてやろうという心境にすることができませんでした。
その点については今シーズンの反省と来シーズンの課題です。
サッカーはチームスポーツです。
チームの勝利を目指すもの同士の相互関係により、ゴールを目指すスポーツです。
ピッチの上で所属する選手の良さが出て、悪さを補完し合う、相手から見えないようにすることを全員がしなければいけません。
遊びでも1人の選手がミスをして、周り(不特定多数)がミスを煽ったり、してしまうことがあります。
そのようなことをしていてはチームは向上していきません。
もちろん、そんなことが起きないことが理想ですが、自然に起きている以上全くなくすことは時間がかかることであると思います。
ここで、止める選手が出てこなければいけません。
ミスをしてしまった選手とそれを責める人間、傍観する人間の三種類ではなく様々な価値観がぶつかり合う状況を作る必要があります。
煽りを止める人間、ミスを慰めにかかる人間、同調をやめさせようとする人間など、それぞれの行動でチームの和の乱れを収束させようとすること。それが個性、その選手のアイデンティティになるからです。
日本人は個性がないとよく言われます。パーソナルで喋ると個性があるが、集団に混じるとなくなるとも言われます。
見られる=監視されているという意識があるから個性を隠すという考えもあります。
選手たちにはそれぞれ思っていることを表現する必要があります。
どうしても多数の意見に同調する選手が多くなります。それは心理学的にも証明されていることです。
しかし多数の意見が間違っていた時、同調した選手には何も残りません。そして責任意識も薄くなるので、また同調してしまいます。
そういう人間にはなって欲しくありません。
責任を負う、矢面に立つということは複雑な気持ちを持つこともあると思います。
苦しかったり逃げ出したくなったりもすると思います。
しかし、その気持ちや勇気を周りが知っているということがチームなのではと思います。
同調だけしていては責任ある行動の苦悩やリスクを知ることはできません。
私の好きな言葉に「判断よりも選択の方が早くて速い」という言葉があります。
困難に直面した時に初めて解決方法を模索することと、解決方法を知っておいてその中から選ぶのではスピードも精度も変わってくることです。
サッカーでも同じです。
1人でできることなんて限られています。
サッカーは1人で勝利を達成することができないような仕組みになっています。
この合宿を通して私も再認識することができました。
プレーする基準をまた、再考したいと思います。
選手と選手がより繋がり、良さを引き出し合う集団を目指します。
来年もよろしくお願いいたします。